道頓堀の母と呼ばれる占い師も大阪にはいます。
大阪に住んでいた、当時の私は悩みの多い年頃だったのだと思います。
友人との間にも依存的な関係があり、また恋人とは噛み合わず、うまくいかないことばかりの毎日でした。
道頓堀の母はメガネが
道頓堀の母は、とても印象的なメガネをかけていました。
系列店の多いメガネ屋では見たことのないような、凝った細工の赤いメガネをかけていました。また、髪の毛は短かったのですが、独特なパーマをかけていて、すこし翳りのある、それでいて芯の強そうな女性でした。
年齢は、おそらく当時で40代くらいだと思います。今から十年ほど前になるのでしょうか。
その頃は、道頓堀の母もあまり奮っていたわけではありませんでした。私は道頓堀の母に入り口で挨拶をした時、母と同じくらいの歳のその方を見て、なぜか心からほっとして、つい涙が出そうになりました。そんなことは今まで一度もなかったのですが、なにか道頓堀の母には、人を安心させるオーラのようなものがあったのだと思います。
私はたまたま、住んでいた地域が近かったようで、道頓堀の母がまだ自分でビラを配ったり、地域誌に折り込みチラシをしていて、たしかそれで気になって行ったのだと思います。
タロットカード 料金
道頓堀の母の「占いサロン そら」は、今ではとても有名になってしまい、なかなか見てもらうこともかなわないほどだと聞いています。
道頓堀の母は当時からタロットカードを得意にしていたので、私はそれでお願いしました。
料金は一件で3000円でした。その後、私が知っている限りで、三時間までなら一律5000円、という料金に改訂していました。
時間制でいくつ質問をしてもいい、というのはよい制度だと思いました。
私もそれで見てほしかったと今でも思います。
メガネの中の黒目は、小さいのに惹きこまれそうになる、引力のようなものを持っていて、
人間関係を占ってもらう
「じゃあ、なにを見ますか」
と訊かれたときも、私はすこしぼんやりとした頭で、「人間関係、全般を」と言ったのを覚えています。
「特に見たいことはありますか、家族とか、恋人とか、友だちとか」
「全部なんです」と私は戸惑いながら言いました。
道頓堀の母は少しも動じずに、それじゃ、見ましょうね、とカードを広げ始めました。
私は当時、とても悩んでいて、悩むことになにか意味があるとすら思っているような、そんな10代でした。
心を病んだ友人がいて、その子に精神的に付きっきりな部分があり、疲弊していました。
そんな私と付き合っていた恋人は私よりも先に疲弊の度合いが彼の許容範囲をこえてしまって、彼もまた闇を抱えてしまいました。
家族とも不和が続いており、学校にはいくらか友人がいたものの、一歩学校を離れると、孤独の中へ落ち込んでいくだけでした。
道頓堀の母は次々と私の痛いところを突いてきました。
「あなたは人から褒められたいの?」
「自分が犠牲になればいいと思ってるのね」
「苦しいことは、楽でしょう」
と、弱いところばかり、言われるんです。当時の私はその通りの人間でした。
人のために何かしていれば、自分を犠牲にしていればいいと思っていました。
傷つけられることが怖かったから、自ら傷つくことで予防線を張って、だけど結局それは、傷ついていることには変わりなかったのです。
それに、自分のための行動でない、ということは逃げでもありました。
そう思っていられる間は、私は自分の行動に責任を取らなくていいのだという甘えがどこかにありました。
当時、まだ10代だった私にはこんなふうに自己分析をすることはできず、その方のことば一つ一つにいちいち傷つくばかりでした。
どうしてこの人はこんなにもキツイことをいうのだろう、私はこんなにも苦しいのに、どうしてさらに苦しませるのだろう、と思っていました。
それはつまり、結論的に言えば、当時の私を如実に表していたということです。
本当によく当たっていたと今でも思います。
それから道頓堀の母は私に、
「じゃあこれからは、自分を大事にするのよ」と言いました。
「どうやったらできますか」
「流されないことね」
道頓堀の母は、自分の過去の経験を交えながら、私に流されない、ということがどういうことなのか説明してくれました。
「自分がこうしたい、と思って選択したことは、後悔しないの。だから、あなたも後悔しないようにしてね。後悔はきっと、誰かへの責任転嫁になって、そうやって自分を守っている間は、あなたは今の人間関係から抜け出せないと思った方がいいわよ」
当時の私にはこのときの道頓堀の母の言葉は、曖昧にしかわかりませんでした。
そうですね、とたぶん答えたのですが、あまりしっくり来ていなかったんです。
「だからたとえば、友だちに誘われたとき、あなたはその日、実はどうしても見たいテレビ番組があって、しかもそれをリアルタイムで見たかったの。だけど、録画すれば同じ内容が見られるじゃない、とお母さんに言われて、釈然としないまま従って友だちと会ったとするじゃない。それから家に帰って、録画した番組を見ていると、番組の最後に抽選の応募について書いてあって、それはあなたが以前から手に入れたいと思っていたものだった。出していたからといって確実に当たるとは限らないけど、あなたは帰ってきたときにはもう応募資格をなくしていた。時間切れになってしまっていたのね。その時あなたは、どう思う?」
「私は、お母さんに心の中で当てこすります」
「それから?」
「それから、そのテレビを見たいと友だちに言えなかった自分を責めます」
「そうでしょう?もしあなたがはじめから、友だちの誘いを断ってさえいれば、後悔しなかった。もしくは、友だちと誘いを受けることを、番組のライブ感を諦めることを自分で決めていれば、心もようは変わっていたでしょう」
そのたとえを聞いたとき、私は、でも友だちにそのままを言えないときだってある、と反抗的な気持ちが湧き上がるのをやめられませんでした。
でも、道頓堀の母の言っていることの方が正しいというか、自分を大切にする、ということの理にかなっているのだろうと理解もしていました。
「すぐにじゃなくていいの。今日ここへ来て、いろんな気持ちを感じたことが大事なの。大丈夫よ」
と、道頓堀の母は私の手をゆっくりと握りました。私はとても安堵感を得ながら、どうしてここにいると、こんなにも感情が揺さぶられるのだろう、と不思議な気持ちを味わいながら、そのときはただ、初めての占い体験を面白いなあと思っていました。
それから私の考え方が一朝一夕で変化したわけではありませんが、友人との関係にはどこか区切りを付け、さっぱりとした関係を保つことができるようになりました。当時の恋人とはほとんど縁を切るような形で別れましたが、道頓堀の母から「自分で選ぶこと」を教えてもらわなければ、きっと私は彼とずるずる付き合って、ふたりとも落ちるところまで落ちてしまっていたと、今でも思います。
当たるだけでなく、きちんと快方へ導いてくれた木津川智媛さんが、高名になっていったというのは当然のことだと思いますが、よい占い師というのは当たる当たらないにこだわらず、人の心に寄り添い、導いてくれる、人生の先生のような存在なのだと、今になって思い返します。