東京都に住むアケミです。
私が34歳のときに一回り年上で46歳の夫とデキ婚しました。
当時、私はやりたい仕事にやっと就けたのですが、非常勤講師ということもあり、産休や育休の制度は使えず、結果、専業主婦になりました。
結婚前も子どもを産むか産まないかというところでだいぶ揉め、シングルマザーになることも考えていました。
今思えば、そちらのほうが正しい選択だったと思います。
夫は実家暮らしが長かったのですが、留学で一人暮らしをした経験があったので自炊ぐらいできるだろうと思ったのですが、家事は全くできませんでした。
たいして調理をしなくてもいいシリアルやレトルト食品を食べ、洗濯や掃除は気の向いたときにやっていたそうです。
そんなわけで、お腹が大きくなっている私が引っ越しや結婚式の準備、買い物、掃除、洗濯などの家事、ベビーグッズや出産準備など短期間で全部一人でやることになりました。
付き合っているときはわりと優しかったのですが、一緒に生活をしていくうちに私をお母さん代わりの召使のように扱うようになりました。
具合が悪くても「大丈夫?」の一言もなく仕事に出かけ、仕事の間にも気遣うメールの1つもありませんでした。
ご飯の準備ができていなければ自分だけ近所の義実家でごちそうになってきていました。私の分の弁当を買ってこようというのもありませんでした。
最初のうちは、専業主婦になったんだし、家のことをするのが私の仕事と思っていたので苦になりませんでした。
夫が帰る前に全ての家事を終わらせるようにしていたため、夫からは何もしていないと思われていたのかもしれません。
でも、実際は妊婦でスローな動きながらも、部屋を清潔にし、栄養バランスを考えた食事を作り、弁当も作っていました。
夫が頻繁にに牛乳を飲むので、リュックを背負い、1回に4㎏分の牛乳プラス食材を買いに出かけていました。
夫は福祉関連業でシフト制の仕事のため、勤務時間はバラバラで、ほとんど家にはいませんでした。
夫が決めた賃貸マンションは夫の職場と義実家に近い1DKのマンションでした。
収入の3割の家賃が理想なのですが、夫の月給がバラバラなのに最高額の3割のところを選んできたので驚きました。
広さは以前住んでいたアパートより少し広いぐらいで、収納もなく、2人で住むには狭すぎると思いました。
北向きで日が当たらず、薄壁で毎晩夜中の両隣の生活音で眠れませんでした。
加えて夫のものすごいいびきだったのですが、逃げる場所はどこにもありませんでした。
知らない土地で知人もおらず、頼りにしていた義両親は全く面倒を見てくれませんでした。
衛生面的に良くない環境、睡眠不足、孤独感が産前鬱の私に追い打ちをかけました。
産前鬱で感情コントロールが難しくなった私は、妊婦健診のときに保健師さんに相談しました。
このとき、夫も同行しており、支えてあげるように言われたのですが、ケンカをする度に実家へ逃げるようになりました。
出産予定日の1週間ほど前に母が手伝いに来てくれた時に、ようやく安心することができました。
産後も家事や育児を手伝わず、ことあるごとに実家に逃げようとし、私の母につかまっていました。
どうやら母のことも召使だと思っており、夫婦で育児をするようにと夫の休日に母が外出すると、なんでやってくれないんだと怒っていました。
私と孫の世話だけならまだしも、なぜ夫の世話までしなければいけないのか、本来なら夫であるあなたがやるべきことを母がやってくれていると伝えても実感がないようでした。
近所の義両親は子どもが退院した日に一度来ただけでした。
1ヶ月後、母が実家に戻り、夫と子どもの3人の生活が始まりました。
夫は子どもを見ていてと言っても携帯電話をいじっていて嘔吐に気づかなかったことがあります。
子どもが大便を漏らしていても、泣き叫んでいても何もしようとはしませんでした。
いわゆるネグレクトです。それを指摘すると口論になりました。
ヒートアップすると夜中に子どもが寝ているときでも大声を出し、手は出さなかったものの感情を抑えきれなくなりました。
冷静になるように離れようとしても「ここは俺の家だ!」と怒鳴り散らし、ドアを壊す始末でした。
このとき、私は人生で初めて「死ね!」という酷い言葉を使いました。長々と言っても夫は覚えていられないのでこの言葉が出たのだと思います。
ちなみに夫は感情が高ぶっているときの記憶は、翌日にはきれいさっぱり忘れていました。
子どもができれば夫婦の生活もお金の使い方も変わります。夫はそれが気に食わず、家を出て実家に戻りました。
実家では私に追い出されたことになっているそうで、義母も近所にそのように話していると知り合いから聞きました。
別居と言っても義実家は800mの距離で徒歩10分で着きます。
夫は義両親の前では暴れないので子どもと一緒にお邪魔したことが何度かありますが、今後の話し合いをするわけでもなく、私が追い出したことになっているので居心地が悪く、だんだん足が遠のいてしまいました。
子どもも「一番になれ」などという義父のプレッシャーを感じたのか、もう行きたくないと言っています。
夫の金銭感覚があまりに鈍いので、最初のうちは同居していたときと同じく給料やボーナス全額を渡してもらい、私がやりくりしていました。
もちろん、夫にもお小遣いなどを渡していました。しかし、義父が知人の弁護士に相談してから「お金は一切払わない」と担架を切り、話し合いもなしに離婚調停までされました。
離婚したいのは私で、夫が渋っていたので驚きました。
結局、私が調停に出られなかったため、裁判を起こすと言ってきました。
他にも「お前は友達がいない」「母親失格だ」などなど、精神的に追い詰めるようなことを毎日夜中まで延々とメールでよこすので義父に訴えて止めてもらいました。
ここまできたら愛情などこれっぽっちもなく、ただただ恐怖心しかありませんでした。
長期に渡る精神的DVと経済的DV、子どもへのネグレクトの証拠は揃っていますが、子どものためにも小さい時は側にいてあげたいという思いから離婚には至っていません。
収入の少ない夫と結婚する際、子どもにかかるお金はきちんと払うことを条件としていたため、今でも10万円ほど支払ってくれていますが、それは家賃に消えています。
別居後に発達障害の傾向があると診断された夫ですが、その後の受診を拒否し、生活の改善もしていないようなので諦めています。
子どもを幼稚園に預けられるようになったら私も仕事を始め、離婚しようと思っています。
それで、友人に相談したところ、紹介されたのが、この占い師の先生です。
話を聞いてもらうだけで気分が明るくなりました。