p38
人間は死ぬ時を自分で知っている、と思うようになりました。
(中略)
自分が書いたシナリオどおりに自分の人生が進んでいるのであれば、じたばたする意味はない。したばたしても仕方がない、ということになります。
(中略)
ですから、自分のシナリオ通りに人生が存在していることがわかってしまえば、過去どのような選択をし、どのような判断をしたかについて、悔やんでも仕方ありません。
何ひとつ悔やむ必要はないのです。すべての判断、すべての選択は正しかった。すべてその時々のベストの選択をし、ベストの判断をした、ということを私はお伝えしたいと思います。
(管理人注、これは故船井幸雄氏の言説とほぼ一致する)
同時に、未来、これから先、どういう状況になろうが、そこでどちらを選ぼうが、右を選んだら幸せになるのか、左を選んだら幸せになるのかというふうに考える必要はないのです。
選びたい方のどちらを選んでもよい。選んだものが自分のシナリオである。
未来は必ず自分が書いたシナリオ通りに進んでいくのですから、未来について心配する必要はありません。
p41
過去にさかのぼって、「あの時にああすれば良かった」「こうすれば良かった」などと悔やむ必要は一切ないということ。
以前、あるお茶のメーカーが募集した川柳で、大賞になった句に、
「プロポーズ、あの日に戻って 断りたい」
という作品がありました。
けれども、自分には、今目の前にいるこのどうしようもない夫しか選べなかったのです。
夫のほうからすると、その妻しか選べなかった。どうしてもその選択しかなかったのです。
なぜか、それが自分が書いてきたシナリオだからです。
p43
人生の目的は人生を楽しむこと
p71
自分のすぐそばにいる人の愚痴や悪口を言うことは、自分の価値を低めているということに気が付いた方がよいかもしれません。
p106
頼まれごとをしているうちに、自然に「使命」「天命」というものが見えてきます。
「生きている間にどう喜ばれるか」
p129
「この人は働き者だな」と思うのは、眉毛が濃くて太い人。汗が目に入らないように、眉毛が太くなっているのです。
p131
「自分の思い通りになったら息子を愛してあげるけれど、自分の思い通りにならなかったら愛してあげたくない」というのを「愛している」とは言いません。その状態を「愛していない」と言います。
p154
空海さんの座右の銘は、「他人の短を言うことなかれ。己の長を説くなかれ」
p225
神様には感情がなく、すべてが方程式のとおりに反応することがわかってきました。
「神様の使いこなし方」はとてもシンプルです。
p276
神様は、私たちの発言を一つひとつを注意深く聞いているように思います。
「易経」でいうと「運は動より生ず」といい、「運動」という言葉になります。